本鼈甲製 ペンダント
縦 約3.8センチ(冠含む・最大部)
横 約2.1センチ(最大部)
厚さ 約3.5ミリ(最厚部)
金具 K18
喜平型の輪をふたつ組み合わせたペンダントでございます。
簪などに使用する透明度の高い中南米カリブ海ハイチ産の最上級のあめ色の原材料をお使いしています。
職人の手によりきっちりとつくられた喜平のカットがキラキラと輝いて揺れ
デコルテを明るく活き活きとお見せいたします。
分厚くおつくりしていますがとても軽く重さを感じさせないお使い心地です。
この軽さが鼈甲の魅力のひとつでございます。
シンプルなデザインですのでTシャツやカットソーのようなカジュアルなお洋服にも
ドレッシーなブラウスやワンピーススタイルにもお似合いになられるかと存じます。
このデザインのあめ色の商品はこの1点でおしまいでございます。
べっ甲関係者によっては賛否両論あると思うのですが
あめ色の鼈甲はカリブ海ハイチ共和国の甲羅が
世界じゅうの赤道直下の国々に生息している玳瑁亀のなかで
いちばん透き通ってきれいな色彩であると
わたくしは思っています。
髪の毛の黒と同じ真っ黒な肌のアフリカ系の黒人の国家
その昔フランスの植民地だったので公用語はフランス語
中南米の経済を研究しておられてご本を何冊も出版されている
わたくしどもの商品をオークションでご贔屓にしてくださっている学者の方から
現在 ハイチは無政府状態である
と伺いました。
35年ほど前 20歳代後半
一度だけハイチに出かけました。
貧困で治安が悪くて
いつ襲われるかと身構えながら街を歩いた記憶が
走馬灯のように浮かんできます。
市場の商店で食材を買ってお金を払おうとしたら
いくつもの手が差し出されて どの手がお店の人の手なのかわからない
通行人が条件反射で手を出す
お金をくれれば儲けもの
国内は貧困の極みでお金を稼げない
お金は観光できた外国人からかすめ取るのが生きる術
ホリデイ・インハイチの前の公園を歩いていると見知らぬ黒人の若者が近寄ってきて
「オーマイフレンド いつまでいるの 観光案内してあげる」 と腕を掴んでくる
「オーマイフレンド」と別の若者がやってくる
黒人の若者同士で客を取りあって石を持って喧嘩
その隙にホテルへ逃げ帰る
夜に散歩をしていると
若い黒人女性から
「1ドルでいいから・・・」
と声をかけられる
わたくしはそれまで便秘というものを知らなかったのですが
真っ黒のハイチ人から追いかけられている夢を見て飛び起きてしまいました。
真っ黒な肌の人間独特の威圧感への恐怖心で
米国マイアミに移動するまで一週間以上便秘に苦しめられました。
お腹がはって足を立てて寝ていました。
薬局で下剤を買うだけの語学力はありませんでした。
外国人の使用する下剤は日本人のものより効き目が強いので危険
ということを知っていましたので。
自分の人生観が大きく広がった若い日の想い出です。
そういう中南米の島国に生息している玳瑁の肚甲がいちばん美しい
世の中の不思議を感じました。
この商品は見とれるほど濁りのない澄んだきれいなあめ色でございます。
ホームページに掲載している商品から察する限りにおいて
ほかのべっ甲専門店では絶対に手にはいらない色彩の商品です。
この商品はヤマト運輸のVIP扱いで発送させて頂きます。
【2023年9月 諏訪中央病院名誉院長の鎌田實先生の新刊 「ちょうどいいわがまま」 より抜粋】
「行き詰まってきたら動いてみる」 という章のなかで
わたくしどものお店のこと
わたくしが病に倒れてからいまに至るまでの経緯
そして ヤフーオークションでの営業再開
滅びゆく鼈甲という文化について触れていただいています。
「川口の生き方は 一言でいうと わ が ま ま
我 が ま ま 我が思うままに 生きたいように生きている」
と仰っていただいたのは昨年の夏でした。
わたくし もうすぐ高齢者になります。
きれいな鼈甲製品を皆様にご紹介させていただける
そういう穏やかな日々が一日でも永く続いてほしい と
思いました。
今年の9月25日に出品いたしましたバレッタ式の髪留めを落札してくださった方からメッセージを頂きました。
ヤフーオークションを介して何点もお求めいただいているお客様です。
お仕事でカリブ海の国々へ何度も足を運ばれている方です。
鼈甲の原材料であるタイマイ亀の原産国で
現地のべっ甲職人がつくったアクセサリーを目にしたことがきっかけで
日本のべっ甲にも関心を寄せてくださるようになった方です。
「本日お品物を受け取りました。
お写真よりも迫力のあるべっ甲で、透明感がすごくて、
いつもながら川口さんの品質にかける決意を感じました。
これだけの厚みのある透明なべっ甲を重ねるのは大変なことだろうと想像しました」
そのむかし 鼈甲への審美眼をお持ちの愛好者の方々はたくさんいらっしゃいました。
時代が移り変わりました。
鼈甲に関する良し悪しの目利きに長けた方々は減っていくことはあっても増えていくことはないように思います。
そんなさなか わたくしどもの職方の仕事を正当に評価していただいて
そのことを文字にして伝えてくださる方がいらっしゃることを
心の底から嬉しく思いました。
【ほかのべっ甲店の商品との違い】
鼈甲は玳瑁(たいまい)という亀の甲羅です。
玳瑁甲は 黒い甲羅とあめ色の甲羅を重ねますと全部が黒い甲羅の色をした板になってしまうという
特殊な性質があります。
あめ色は黒に溶けて存在がなくなります。
また甲羅はさほど厚みがありませんので1枚1枚は薄いものになります。
ほぼ全ての鼈甲のアクセサリーは甲羅を何枚も重ね合わせながら水と熱と圧力を駆使して厚い板をつくり
その板に細工を施して仕上げていきます。
綺麗な模様がはいった甲羅の鼈甲柄を浮き上がらせるためには
あめ色の原材料を何枚も重ねていくことで厚さを調整していかなければいけません。
黒い甲羅を重ねますと鼈甲柄の模様は黒に打ち消されて黒一色になってしまいます。
きれいな鼈甲柄を活かすためには あめ色の高額な商品をおつくりするときに使用いたします甲羅を
何枚も重ねていきます。
あめ色がたくさん混じっている鼈甲柄の商品のお値段が高いのは
あめ色の高級な原材料をたくさん使っているからです。
Yahoo オークションで落札してくださったお客様から
「どうしてなのかわからないのだけれど
川口さんからいただいた商品は他のお店のものとは何かが違う
綺麗 というか 輝いている というか 何か違う」
というメッセージをいくつもいただいています。
わたくしが長崎で鼈甲の専門店をいたしておりました頃 1980年代ののお話です。
個人的に親しくしておりました 腹を割って 包み隠さず本心をさらけ出せる
わたくしよりも一回り年上の
べっ甲店 「トータスジュエリー甲」 の店主 故中村啓介氏とお酒をご一緒した際
何度となく言われていたことがあります。
「川口さんの商品は カリブ海の綺麗な上等のあめ色の原材料を惜しげもなく何枚も使って商品をつくっている
だから同業者のわたしが見ても惚れ惚れするほどきれいなものばかり並んでいる。」
江戸時代に記された 玳瑁亀図説 にも
「 甲を以て貨(しろもの) に作るは・・・肉中に入る生地は最上を撰び用ふ。
・・・若し中へ次なる生地入る時は仕上がりて 甚だ見苦しきなり 」
とあります。
わたくしどもの商品がほかより何かしらきれいに見えるのは
「綺麗な原材料を使わないときれいな商品はできない」
という祖父の信念をそのまま継承してきたからでございます。
そのむかし 祖父から事あるごとに厳しく叱られていたことがあります。
「口数が多い男はそれだけでダメだ。必要最小限のこと以外はいっさい口にするな」
永六輔氏からも同じように叱られたことがありました。
「渥美清さんがよく口にしていた言葉
『それを言っちゃおしまいだよ』 は
秘すれば花 秘めるからこそ花になる。
口に出して話してしまうとその価値は失せてしまう
ということ
ほんとうに大切なこと 伝えたいことは敢えて口にしない
言葉にして言わなくても相手にきちんと伝わるように
人知れず努力する
それが一流の芸というもの」
祖父や永さんが生きていたらすごい形相で睨みつけられて叱られると思います。
それでも 敢えて 文字にいたしました。
わたくしどもが出品いたしております商品のなかにも
「この1点でおしまいでございます」
という言葉を添えることが多くなってまいりました。
『それを言っちゃおしまいだよ』 という理由で
商品紹介へ記載するのを控えてきましたが
「この商品をお買い求めいただきますと あと1点でおしまいでございます」
「このデザインの商品で これだけのきれいな模様がはいっている商品はこの1点でおしまいでございます」
という出品が大半を占めるようになってまいりました。
わたくしどものお店も含めて まもなくべっ甲文化はほんとうの終焉を迎えます。
灯が消えてしまってからですと お伝えする術はありません。
Yahooオークションに出品いたしております商品は1990年代におつくりしたものでございます。
その当時のショーケースウインドウディスプレイを動画でご紹介しています。
商品が店頭に並んでいたときの空気感が垣間見れるかと思います。
機会がございましたらほかのべっ甲専門店や百貨店の催事などで並んでいる
黒っぽいだけの厚みのない薄っぺらな商品と
あめ色が綺麗に混じっているわたくしどものお店の分厚い立体感のある商品の違い
表には見えない細部にまできれいなあめ色の原材料を使っておつくりしたものとの質感の違い
実際にご覧いただいてたしかめていただければ幸いかと存じます。
【落札者様とのメッセージ交換のご紹介】
以下の商品を落札してくださったお客様とのメッセージのやりとりを商品説明欄に転載させていただく旨を
お客様にご了承いただきましたので紹介させていただきます。
【定価38,000円・川口鼈甲店】新品 本べっ甲 かんざし
初めまして、落札者です。
川口鼈甲店様の商品をヤフオクでずっと前から拝見していて、素敵だなと思っていました。
当方30歳手前ですので貴方様の客人としては若い方でしょうか。
日本の女ならば己の黒髪に鼈甲の一つくらい挿してみたいと思っておりいつか手に入れたいと思っておりましたが、これからは国内に残ったタイマイが無くなっていくばかりという話を耳にしてから、購入するときに満足のいくものが手に入るのは今が最後かもしれないと思い色々と探しておりました。
本当は晴れの日につけるような派手なものが好みで派手なものばかりが素晴らしいと思い込んでいたのですが、今回のオークションの説明文を拝読して考えを改めました。
ご祖父様の「べっ甲は オーソドックスで単純なデザイン 一見 簡単そうに見えるもののほうが実際につくるのは難しい。 左右対称に見えるようにつくれる職人は少ない。」というお言葉はまさにその通りだと考えさせられました。
褻の日に使える上等なものを纏うことこそ最高の贅沢なのかもしれないと思います。
そのような贅沢を味わえるのは今回のオークションでのご縁あってこそですので、とてもありがたく思っております。
この度はご落札いただきましてありがとうございました。
中略
この簪は和装洋装どちらでもお使い頂けるものでございます。
お気に召していただければ幸いでございます。
2016年の4月末からヤフーオークションで週に1~2点 出品させて頂いてまいりました。
30歳代半ばの方のご落札は何回かございましたが
20歳代のお客様は初めてでございます。
長崎でお店をいたしておりました頃は 旅情に誘われて若い方にもいらしていただいていましたが
オークションで入札していただけるとは思っていませんでした。
メインのお客様は40歳代以降のオバサマ方です。
60歳代半ばぐらいまでです。
「若い人が鼈甲に興味を持ってくださることはないだろう
そうなると鼈甲に携われるのはあと10年が限界だろう」
と思っていたさなかでしたのでほんとうにびっくりいたしました。
商品紹介に記載いたしておりますように
わたくしの身体(腎臓)が壊れてしまったことでやむなく閉店いたしましたので
1990年代後半のべっ甲業者が勢いを失う前の商品群が
タイムカプセルで保管されたようなかたちで手つかずでわたくしの手元に残っています。
しかし 現在 べっ甲の原材料はほとんどありません。
未来のない業種業態で人が真剣にお仕事をしていく
より良いものをつくっていく
現実には出来ない相談 無理です。
レベルが下がるのは当然です。
勝手な独り言です。
良い細工の鼈甲製品を手に入れる方法は2つあります。
そのひとつは骨董品店で探すことです。
古き良き時代の優れた職人の仕事がそこここにあります。
ただし中古品です。
特に櫛笄は 使っていた人の髪の皮脂が付着してベタベタして脂臭い匂いがついています。
どんなに拭いてもとれません。
表面を削って磨き直しをすることで皮脂は取り除けますが
形が崩れてしまいます。
細工を入れ直して形を整える力量のある職人は現存しません。
腕の悪い職人が磨き直しをいたしますと
目が当てられないものになってしまいます。
もう一つの方法は わたくしどものオークションをずっと見ていただくこと
です。
まだまだ色々なバリエーションの商品がございます。
いまのペースで販売をしていくとき
わたくしが彼岸へ旅立ったあとにも商品はたくさん残る計算になります。
あなた様の後ろに べっ甲を好いてくださる若い女性のお客様がたくさんいらっしゃる
と信じて
20年ぐらいは細く長くべっ甲を販売していこうと
先日頂いたメッセージを拝読して 強く感じました。
勇気づけられました。
感謝しています。
本日簪を受け取りました。とても丁寧に梱包して発送していただき、まことにありがとうございます。
子供に戻ったような心地でわくわくしながら開けました。
手に取って拝見いたしますとあまりに左右対称なので、これが人の手で圧着されて作られていることを忘れてしまうほどでした。
接着剤を使用しないでくっついているというのが不思議です。
梱包を開けた時に初めてべっ甲を触りましたのでべっ甲が少しひんやりしているという事を初めて知りました。
上白の部分と黒のコントラストが美しくてうっとりいたしました。
やはりあめ色の鼈甲は黒髪にあいそうだなと思いましたので、今からこの簪を付けてお出かけするのが楽しみです。
もうすぐ三十路の当方ですが、二十歳代の落札が初めてと聞いて驚きました。
でも確かに、鼈甲の簪と言うと旅行先の資料館に展示されていたりドラマに出てきたりするもの、という印象があり、遠い存在だと思っている若い人が多いのかもしれません。
あるいは本物の鼈甲を見たことが無く、プラスチックのものしか見たことが無いので鼈甲の美しさを知らない人が多いのかもしれません。
ですが鼈甲に興味がある若い人はこれからも居なくならないのではないかと私は思っております。
「和装が好き」という私と同じくらいの年齢の友人もおりますし、旅行先で着物を着て歩く若い女の子を見かけることもここ数年で増えてまいりました。
そういった子達の中には私のように鼈甲の装飾品を手に入れてみたいと思っている人が必ず居ると思います。
もしくは、今はただ若くてお金がないだけで手に入れたいという夢を持っているひとが居るはずです。
ですから、川口様がこれからも長く鼈甲が隆盛を誇っていたころの装飾品を販売して下さるのは本当にありがたいことだと思います。
近い将来本来なら手に入れられなくなるはずの上質で新品の鼈甲のお品を、当時生まれていなかった人でも手に入れられる幸運を将来の若い人たちに伝えて下されば幸いです。
私もまた川口鼈甲店様のオークションを拝見させていただきたいです。
若輩者が釈迦に説法のように語ってしまって申し訳あり故障品(垃圾品)、問題商品、可能無法修理,請注意ません。
今回は素敵な簪をありがとうございました。
このような時期でございますから、どうぞお体ご自愛くださいませ。
商品到着から20日あまりあと ゴールデンウイーク明けの午後
着物姿でこのかんざしを髪に挿した後ろ姿のお写真が郵送で贈られてきました。
そのお写真を拝見してびっくりいたしました。
わたくしの手元にありましたときとはまったく違う別の趣がありました。
このかんざしを出品いたしますとき
人生をそれなりに長く生きてこられた方にお使いいただくことを想像していました。
そういう方々を美しく演出してくれるかんざし
そう思っていました。
しかし 実際は違うものになっていました。
老舗ブランドの着物ではなくて昨今の流行であるデザイナーブランドの着物
そしてかんざしがうまく似合っていました。
貴金属のアクセサリーは 身につける人を引き上げて輝かせてくれます。
鼈甲は 身につける方にそっと寄り添って
その方の醸し出す空気に染まる というかんじがいたします。
鼈甲は 最初 思いの外ひんやりとした冷たい手触り感があります、
しかし 特に櫛笄は 身につけているうちにその人の体温で温かくなります。
温かいぬくもりのような感触です。
20歳代の女性が身につけるとき 20歳代の方に合う趣が出てきます。
30歳代 40歳代 50歳代 60歳代 70歳代 80歳代
このかんざしは時を越えて このお客様に寄り添い馴染んでいって
その方の年齢に合った美しさを演出してくれるもの
そう確信いたしました。
【出品商品の品質についてのお知らせ】
2020年12月6日に出品致しました菓子切りについて
7*2*0***様から以下のご質問を頂きました。
「こちらで最後の出品ですか?それともまだ他の物も出される予定でしょうか?」
7*2*0***様に回答をお送りしました。
このことはオークションに参加して下さるすべての方々へご報告するべきことであると思いましたので
転載させて頂きます。
「最後から2番目です。 あと 2本 手元にございます。 最期の出品は ずっと先になると思います。
余談です。 他のお店で販売している菓子切りと同じものが 仕入れ品としてわたくしの手元にございます。
百聞は一見にしかずと申します。
長崎でお店を致しておりました頃
お客様にわたくしどものお店でおつくりした商品の良さをわかっていただくため
あえて 他の土産品店のような下品なべっ甲店に並んでいる商品と同じものを仕入れて
店頭にそっと並べていました。
オークション出品に際しまして 同業他店のみやげ品店レベルのおもちゃのようなものはすべて除外しています。
商品を手にとって見ることなく 写真だけで良し悪しを判断して入札していただいていることへの礼儀
と心得ていました。
そういった商品は最終的にはすべて廃棄処分するつもりです。
ほかではお求めいただけない 自信を持ってご紹介できる商品がなくなりました時点で
川口鼈甲店・完全閉店 でございます。
【べっ甲・その美 ビデオ動画のご案内】
日本鼈甲協会という非営利団体である一般社団法人があります。
長崎 大阪 東京の鼈甲組合すべてが属する連合会です。
わたくしの祖父は長崎玳瑁琥珀貿易事業協同組合の初代組合長でした。
1988年 わたくしは 独自路線でやっていくため祖父が発起人となって設立した組合を脱会しました。
1993年 鼈甲の原材料である玳瑁亀の輸入禁止に伴う国の助成を受けて
日本鼈甲協会が鼈甲細工を紹介する32分あまりのビデオを制作しました。
わたくしども 川口鼈甲店 を除くほぼすべての鼈甲関係者の知識を結集してつくったものです。
悲しみだけが夢をみる
いつの日か 玳瑁の輸入が解禁されることへの祈りが込められたものです。
わたくしどもは組合に属していませんので蚊帳の外でした。
各鼈甲専門店や鼈甲職人が大切にしている美術工芸品を持ちより
ビデオが制作されました。
川口鼈甲店の美術工芸品は除外されています。
2002年 鼈甲の資料や美術工芸品 制作工程の実演を催す長崎市鼈甲工芸館が長崎市松が枝町に開館しました。
「組合員ではないから」
と遠慮していたのですが
「そんなこと どうでもいいから 見に来てください」
というお誘いを受けました。
工芸館の館内で さきに制作されたビデオが上映されていました。
「長崎や東京の鼈甲組合がいくつも鼈甲を紹介するビデオをつくっているけれど
このビデオは突出している
過不足なくわかりやすく鼈甲について紹介してある」
と感じました。
お願いしてビデオテープを分けてもらいました。
ビデオ制作から27年の歳月が流れました。
2003年の春以降 ビデオを再生していませんでした。
ビデオテープは永く保管していると劣化して視聴できなくなります。
富士フイルムのビデオテープデータ復旧デジタル化サービスにお願いして劣化しないようにデジタル化いたしました。
日本べっ甲組合にある著作権を侵害しないよう 再生時間等を数字で表示するというフイルターをかけて頂いています。
川口鼈甲店のホームページにデジタルデータをアップしました。
You Tube 経由の処理をしていますのですべての環境で視聴していただけます。
最初の10分間は鼈甲のルーツと日本伝来から現在に至るまでの過程が紹介されています。
その次に鼈甲店が紹介されています。
最初は明治大正期の川口鼈甲店
それから 明治大正期の二枝鼈甲店 平成期の川口鼈甲店 江崎べっ甲店 中古賀鼈甲店 の様子が紹介されています。
11分から28分まで べっ甲の美術工芸品が紹介されています。
29分から2分あまり 鼈甲製品の制作過程が紹介されています。
わたくしにとっては 子供の頃から慣れ親しんできた 見慣れた光景です。
それでも 製造現場の映像を見ていると 胸が痛くなり 目頭が熱くなります。
「べっ甲・その美」
【修理不可のご案内】
長崎市にお住まいの方から鼈甲製品の修理についてのご質問を頂きましたので
質問と回答を原文のまま記載させて頂きます。
質問
長崎市民です。とても懐かしく、また閉店を残念に思っておりました。
購入後に使用していく中、割れ・カケなどできた場合の修理など、どんな感じになりますか?
宜しくお願い致します。(2016年10月 6日 12時 41分)
回答
ご質問ありがとうございます。回答欄は全角300文字以内という字数制限が設けられていて 300文字以内ではうまくお伝えできない内容ですので 字数制限のない商品説明の最下部に回答を追加記載させて頂きます。
わたくしは職人ではございません。
長崎でお店をさせて頂いておりました頃は職人を抱えていましたので修理をさせて頂いていました。
しかし現在は職人を雇用していませんので修理をする術がございません。
商品の修理は造り手と同等もしくはそれ以上の腕のいい職人の手に委ねないとうまくできません。
腕の良くない職人の手にかかりますと
どんなにすぐれた製品であっても不格好で悲惨なものになってしまいます。
幼児の工作のようなハリボテになってしまいます。
鼈甲製品は二つに割れたりヒビがはいってしまっても
水.卵白.熱.圧力を駆使することで接着部分がまったくわからない
新品の状態まで変幻自在に復元することができます。
しかし腕の良くない職人ですと接着部分が微妙にわかってしまうできあがりになります。
光沢がなくなってきた商品も磨き直しをすることでご購入時と同じ状態になります。
しかし腕の良くない職人ですと表面を必要以上に削ってしまい
薄っぺらで小さなデザインが崩れておかしなものになります。
わたくしの手元にあります商品は鼈甲業に勢いがあったときの腕のいい職人によるものばかりです。
鼈甲業は原材料の輸入禁止以前に入手した材料が尽きたところでおしまいです。
ほんの一握りの腕のいい職人は高齢で廃業していき息子さんにはあとを継がせていません。
長崎市浜町アーケード街.浜屋百貨店そばで鼈甲の専門店をいたしておりましたころは
他の鼈甲店の商品であってもすべての修理をお受けして
新品と遜色ないところまでの完璧な修理をお受けしていました。
わたくしの知る限り わたくしどもの商品を完璧に修理できる腕のいい職人は
日本国内には現存しないと思われます。
お使い頂いた後には必ず柔らかい布で拭いていただき
傷ついたりくもったりしないよう大切にお使い頂ければと
切望しています。
質問者様からのお返事
ご丁寧に回答頂きありがとうございます。
以前川口鼈甲さんの前を通るたび、いつか落ち着いた大人になって持ちたいな・・・
と憧れていました。
いざ大人になってみると、浜町の素敵なお店がどんどん閉店し、
鼈甲も以前に比べ、大変貴重で、職人さんも減ってしまったようで、
大切にするしかないのですね。
参考にします。
【送料無料 (当店負担) 発送方法のご案内】
2016年の4月から個別の販売を終了して Yahooオークションのみの販売をさせて頂いています。
出品をはじめるにあたり
「わたくしどもの鼈甲製品を入札してくださる方はどなたもいらっしゃらないのではないか」
という不安がありました。
それから2年半 169点 (2018年9月10日現在) の商品を出品させていただきました。
入札に際してたくさんの方々に参加して頂きました。
定価を超える金額で落札して頂けることが増えてまいりました。
北海道や九州沖縄県の方には高額の送料をご負担頂いています。
実店舗での定価販売を常としてまいりましたわたくしにとっては
申し訳ないような複雑な思いがございます。
定価を超える金額で落札してくださった方の送料と遠方の方の送料の一部を
わたくしどもで負担させていただこうかと迷いました。
しかし それも違うような気が致しました。
それで 2018年9月11日以降に落札してくださった方の送料はすべて
わたくしどもで負担させて頂くことに致しました。
宅急便VIP扱いについて
VIP配送は配達の際 車中では専用の鍵のかかるケースに入れて管理され、
お届けの際にはお客様にフルネーム確認をしています。
また必ず社員であるSDが取扱い アルバイトや委託業者の取扱いはされていません。
お受け取りの際には必ず認印かフルネームでのサインが必要です。
(ヤマト運輸さんは個人のお客様からのVIP扱いでの発送は行っていません)
【出品商品の品質について】
わたくしどもの商品は原材料に余裕があった頃にお作りしたものですので
商品にボリュームがあります。
それぞれの商品のデザインに合う色彩の甲羅を
たくさんの原材料のなかからお選びしてお作りしたものばかりでございます。
電動式万力の圧力メーターの数字を見ながら鼈甲の原材料をプレスしていくのではなくて
手動式の万力を全身の力で回しながら圧をかけて
数字ではなくて勘を頼りに微調整をかけていく
製造効率など考えないで 納得のいくまで時間をかけて彫刻を施していく
数ミリの厚さの違いやほんのわずかな鼈甲色の模様の違い
労を惜しむことなく手間暇を費やしてみても
遠目にはさして変わらないように見えたりもしますが
商品をお付けいただいたとき
その商品が醸し出す存在感や立体感において
似て非なるもの
という大きな違いがございます。
鼈甲業界に余力があるときにわたくしが体調を崩したことでやむなくお店を閉じましたので
当時の勢いのある商品が手付かずで手元にございます。
鼈甲製品の作り手にとってゆとりがあったころに制作いたしました最期の作品を
丁寧に 少しずつ そしてできるだけ永く
出品させて頂きたいという思いを新たに致しました。
2017年 秋.長崎に住む女性の友人からメールを貰いました。
オークションの商品 楽しみに見ています。
今回の簪も粋な感じで、女性なら誰しも憧れる逸品ですね。
(元の価格が安すぎのような~もっと高くでいいのでは??)
手鏡も素晴らしいです。
(鼈甲の手鏡初めて見ました)
川口さんの商品.贔屓目かもしれないけど他の出品とは何かが違う
別格です。
何気なく鼈甲屋さんにはいって商品を見回してみたけど
川口さんのオークションの商品のほうがなんかきれい….
前に出品していたきれいな飴色一色の銭龜さんどこにもいませんでしたよ。
オークションで落札できた人は幸せだと思います。
長崎で同じものを買おうとしても無いですから。
【長崎・軽井沢・川口鼈甲店】
1997年春 郷土史研究史跡探訪グループ・長崎史楽会の会員の御老人が
西友長崎道ノ尾店で展示会をしていた会場へ訪ねて来られました。
「長崎新聞で川口鼈甲店 が 浜町のお店を閉店したことを知った。
私の先代は大正時代に船大工町の川口鼈甲店のお隣で鍛冶屋をしていた。
当時長崎の商人は目の前の商いで手一杯だった。
しかし川口の創業者は
長崎で繁盛しても東京で認められなければ自分が商っているものは本物とはいえない.
だから東京にお店を出す… と言っていた。
当時 長崎の鼈甲は外国人が買っていた。
川口はその利益をすべて東京出店に費やした。
横浜市元町と東京市新橋にお店を出した。
長崎と東京は汽車で30時間以上かかっていた時代のこと
皇族方宮内省各宮家御用達になり.昭和天皇結納品の鼈甲化粧セットを納めた。
夏季には政府高官.各国の大公使が軽井沢に避暑に行くので軽井沢に出張所を設けた。
大正12年 関東大震災で東京.横浜の支店は全焼した。
太平洋戦争の最中 鼈甲の原材料は輸入できなかった。
昭和23年 川口の先々代は神田の旅館に宿を取り
長崎県庁東京出張所所長の渡辺氏と二人 管轄官庁の門前に座り込みをして
一か月通いつめることで官庁関係者が根負けして鼈甲原材料玳瑁亀の輸入再開 にこぎつけた。
川口の先々代がいなかったら 今現在 鼈甲は日本国内の店頭に並んでいない。
太平洋戦争という地獄を経て鼈甲細工は消滅しなかった。
あなたは自分のお店の閉店は自分のお店の歴史に過ぎないと思っている。
でもそれは違う。
川口鼈甲店の生き死には 鼈甲文化の生き死にそのものなんだ。
あの悲惨な戦争を生き延びてきた。
鼈甲の原材料の輸入禁止は日米の経済摩擦によるもの
太平洋戦争とは違って経済戦争で人の命は奪われない。
経済戦争なんかで負けてはいけない。 ここで終わってはいけない。
このことをあなたに伝えなければ私は死んでも死にきれない。
今 こういうことをあなたに伝えることはとても残酷なことだと思う。
でも ここで諦めないで頑張って欲しい 」
お酒の勢いを借りてお話をしに来てくださったその御老人の言葉が
わたくしの頭の中から離れることはありませんでした。
1993年 永六輔さんのラジオ番組宛に鼈甲についての思いを綴った葉書を出しました。
それがきっかけで 永六輔さんと親しいお付き合いをさせていただくようになりました。
年に数回お目にかかってお話をさせていただいていました。
2005年3月 近況報告の手紙を書きました。
ラジオ番組や講演会で永さんがわたくしのことを語ってくださいました。
「長崎で 川口 といえば 鼈甲 です。
長崎の目抜き通りの真ん中に堂々としたお店を構える押しも押されもせぬ老舗です。
色々なことがありました。お店はなくなりました。
川口は体を壊しました。
いま 川口は転地療養のため軽井沢で暮らしています。
そして体調が良くなってきました。
僕も若い頃 体がとても弱かったんです。
信州小諸・軽井沢で疎開生活をしているときに元気になりました。
だから信州での転地療法が身体にいいということはよくわかるんです。
身体が弱い人が信州で暮らすとみんな元気になるということではないのですが,
元気になった川口は軽井沢で鼈甲のお仕事を再開しようとしているんです。
でも 今現在 お店はない。
お店はないけど 何かをしようとしている。
いまはまだ 鼈甲といえば 長崎 です。
でも 近い将来 日本じゅうの鼈甲愛好者のなかで
鼈甲といえば軽井沢 と云われるようになると思います。
だって 僕の友達である川口が軽井沢で鼈甲のお仕事を再開したのだから。
皆さんこのことを 頭の隅に留め置いていてください」
周りの人達から言われました。
第一級の文化人である永六輔からこれだけのエールを贈ってもらっていて
決起しなかったら漢 (おとこ) じゃない…」
そして思いました。
「身体が壊れているのだから そんなことを言われても困る。
何より自分はそれほどの人間ではない」
以後 永さんとの距離をあけました。
それでも永さんの言葉はいつも心の奥で響いていました。
25年以上のお付き合いのある長崎在住の女性の友人がいます。
雑誌の編集 全国誌の旅行ガイドの長崎版の制作に携わっている人です。
2017年12月30日 お互いの近況報告を兼ねて2時間ほどお電話で情報交換をしました。
「長崎といえば カステラ そして 鼈甲
鼈甲 といえば 長崎
川口鼈甲店が長崎の街からなくなってもうすぐ20年
鼈甲といえば長崎 というんだったら
長崎の鼈甲屋さんには川口のオークションの商品と同等もしくはそれ以上の商品が並んでいなければおかしい。
でも長崎の鼈甲屋さんの商品には
いまどき こんなもの誰が買うの…? というものしか並んでいない。
長崎といえば鼈甲 鼈甲といえば長崎
それは川口鼈甲店の鼈甲のことだったような気がする。
Yahooオークションの川口の鼈甲製品は20年以上前のもの
それなのに いま 長崎のどの鼈甲屋さんに並んでいる商品よりも新鮮な輝きがある。
オークションは それなりのものをそれなりの安い値段で買うためのもの
でも 川口の オークションはそうじゃない。
次から次に目新しい商品が出品される。
大げさな言い方をすると
世界の名画をオークションで落札して入手する
そういう異質の空気感がある」
と言われました。