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【真作保証】 浅野弥衛 『作品』 抽象画 木片に彩色 描画材不明
木片に彩色し、文字や線画が施されています。友人に贈ったものと聞いています。入手後に、なじみの額縁屋に頼んでアクリルBOXの額を作ってもらいました。
●作者:浅野弥衛
●画面サイズ:横17.2cm 縦17.8cm 厚さ3cm
●額サイズ:約29.5x30.3cm
●サイン:画面右下に署名
●作品の状態:良好です。
※出品物についての箱の有無、及び額縁に関しましてはあくまでも作品の付帯品とお考えください。箱のコンディションや額のコンディション等によるクレームは一切お受け出来ませんので予めご了承ください。
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【作者について】
浅野弥衛年譜
1914年(大正3)
10月1日、三重県鈴鹿市神戸町北萱町56番地に生まれる。
1932年(昭和7)18歳
3月、神戸中学校を卒業。
*神戸中学を卒業後、職業軍人になり、日華事変後一時帰国したとき絵筆をもったのが画家への第一歩。(朝日新聞、1961年9月)
1933年(昭和8)19歳
津市に住んでいた詩人の野田理一と親しくなった。ヨーロッパの新しい芸術運動にも興味をいだく野田がもっていた作品や画集で 欧米の未知の画家を知ったばかりでなく、かれの影響によって浅野は絵画以外の文学、音楽などの前衛的な運動に関心をもちはじめる。
*浅野氏は若いときから絵に興味をもっていたが、抽象絵画にすすんだきっかけは詩人で詩誌「荒地」の編集者野田理一氏と知り合ってから。野田氏は詩人であると同時に美術のコレクショナーでもあり、フランスの美術雑誌などがいつも家中にゴロゴロしている。浅野氏はそうした雑誌や画集を通じてカンジンスキー、ミロ、クレー、アルプ、ブランクージなどを知り、抽象絵画への開眼をした。(中日新聞、1962年5月11日)*初めて外国の画集で抽象の世界をのぞいたとき「驚きはなかった。能、カブキはシュールなものだし、床の間の違いダナのアンバランスだってそうだ。日本に昔からあったんや」というのが実感だった。(中日新聞、1971年3月13日)
1939年(昭和14) 25歳長谷川三郎が主宰していた美術創作家協会に初出品する。
*創作家協会か自由美術協会か、どっちか知りませんけれども、そこへあなたのエンピツの絵を出してごらんと(注:野田埋一に)いわれたんです。私、東京へ行くのも、公募展へ出すのも気が進まなかったんですけれども、野田さんが「私が行ってあげるから、いっぺん行ってみましょう」ということで、……(「美術手帖」1983年4月)*初めて自分なりに絵が描けたという思いで、公募展へ出品したのは、ちょうど日支事変の終わった年であったか、昭和十三年か、十四年か、美術創作家協会展であった。パステル、クレヨン、墨、エンピツを使っての白黒のモノクロームの小さい作品であった。上野の美術館へ行って、ハンランする色と形の間にはさまれている自分の作品を、遠くから、いじらしい気持ちでながめていた思いを忘れることが出来ない。(浅野弥衛「ふるさと」朝日新聞、1961年1月17日)
1950年(昭和25) 36歳
美術文化協会会員になる。
1952年(暗和27) 38歳
5月、長女泰子生まれる。名古屋の栄で画材屋をひらいていた藤田八栄子を知ったのは藤田が画材店をひらいたこの年直後。藤田は後に桜画廊をひらき、亡くなるまで、中部圏の若い作家たちを育てることになるが、その中心のひとりになったのは浅野弥衛だった。
1953年(昭和28) 39歳
2月、鈴鹿信用組合が鈴鹿信用金庫に改組、代表理事となる。この頃、近くの海岸へゆき、流木や貝殻を拾って、それをコラージュした作品をつくる。弟嘉平、義弟清水信と自宅に英語塾「ブルー・フラッグ」をつくり、中学生を教える。
1955年(昭和30)
戦争中に一時色彩の世界に惹かれたものの、「無残な敗北を繰り返した」あとで、「再び黒と白の世界へもどった」のは、この頃か。(浅野弥衛「ふるさと」朝日新聞、1961年1月17日)
1956年(昭和31) 42歳
美術文化協会常任委員になる。
*42歳の時に勤めをやめ職業画家になった。展覧会のたびに一枚も売れないことが続いた。「また全機帰還や」と笑って帰ったという。(朝日新聞、1990年10月27日)
1957年(昭和32) 43歳
この年あたりから「引っかき」をはじめる。(朝日新聞、1964年2月16日)
1959年(昭和34) 45歳
第19回美術文化展(東京都美術館、17日-31日)に「暗い歴史」「作品A」「作品B」「序奏」を出品する。浅野弥衛展(トキワ画廊)
1961年(昭和36) 47歳
2月、中部美術家協議会主催の自選展(3日-12日、愛知県美術館)に出品する。3月、浅野弥衛・鈴木清展(5日-11日、東京銀座中央画廊)4月、第21回美術文化展(20日-29日、愛知県美術館)に出品する。5月、浅野弥衛・岡田徹二人展(7日-20日、桜画廊)7月、浅野弥衛展(24日-8月2日、名古屋画廊)で近作14点(油絵12点、オブジェ2点)を出品する。8月、中部美術作家第1回選抜展〈9日-20日、愛知県美術館)に出品する。9月、アメリカ美術協会(AFA)の国際請注意日本當地運費,確認後再進行下標。ドローイング展へ出品依頼10月、浅野弥衛個展(19日-24日、櫟画廊)。10月、第7回中部美術文化展(21日-30日、愛知県美術館)に「作品C」など7点出品する。この年、燭台をデザイン化した名古屋画廊のシンボルマークを制作する。
*浅野の画面は部分的にカンバスの織り目をあらわしているような、淡い、清潔な絵はだを示し、ことにその白い心象風景は、ときには枯草の野を、あるいは針葉樹の林を思わす叙情的な美しさを見せている。……(朝日新聞、3月9日)*線が好きで、乾いた画面、カサカサした画材を好む自分の精神的体質を自覚したのは、絵を描き始めてから十年も経ってからでしょう。 戦後ウォッシュバーンという米人が来られて、ドウローイング・インターナショナル展という展覧会に出品を依頼されて、私は油の引っ掻きの線による作品を出したように記憶しています。(「美術手帖」1981年7月増刊)
1962年(昭和37) 48歳
1月、第13回秀作美術展(5日-14日、朝日新聞主催、日本橋三越)に「作品」を出品。4月、第22回美術文化協会展(19日-29日、愛知県美術館)に「作品1」「作品2」を出品。5月、浅野弥衛展(16日-25日、名古屋画廊)*白と黒の異色の作品である。キリキリと焼きつくような条線の鋭さはこの作家の独特な手法によって生み出される。黒白の世界でありながら、色彩を感じさせる。生々と発育する植物を思わせるこの作品は作家の強固な意志を表現していておもしろい。(「美術文化展から」中日新聞、4月22日)*今度の発表十五点のなかでの焦点は、もっとも新しい仕事「作品E」「作品K」の二点である。(「無数の線の運動、浅野弥衛個展」朝日新聞、5月21日)*浅野氏の最近の絵は白地に黒の線がびっしりと描きこまれたもの。ある人はその作品を評して「江戸小紋でなくて鈴鹿小紋」といったが、鋭敏な感覚をひめた線、さまざまの色を一つ一つ洗い流して到達した白と黒の微妙な対照は、洗練されつくされた江戸小紋の持ち味に似ている。しかしそれに氏独特な現代感覚が加わっていることはもちろんである。(中日新聞、1962年5月11日)
1963年(昭和38) 49歳
4月、第23回美術文化展(19日-29日、愛知県美術館)に出品。4月 浅野弥衛展(21日-29日、名古屋画廊)10月、美術文化協会を退会する。
*小さな円を集団化した新しい仕事の発表である。それは水面に浮かんだアワ粒のように透明で、無数に連鎖している。しかしアミーバー の繁殖のような生きた感じはしない。物理現象のように無表情に広がってゆく。(「小さな円の集団」(守)、朝日新聞、4月24日)*浅野弥衛は昨年みられた大胆な構図が姿を消し、画面をなめるように走った無数の細かい円のつながりが不思議な迫力を呼んでおり、……(「第23回美術文化展展評」名古屋タイムズ、4月23日)
1964年(昭和39) 50歳
8月、現代の精鋭’64展(10日-23日、東京椿近代画廊)に出品。8月、浅野弥衛個展(20日-29日、名古屋画廊)がひらかれ18点出品。そのうち6点に色がはいった。「これまでのモノクロームの世界にわずかな色彩が加わっている。」(中部日本新聞、8月24日)「うっすらと要領よく置かれている。手際のよいあしらいかただ。だが、色が造型をしていない。浅野の線描の感覚の世界はなお続いている。」(朝日新聞、8月24日)8月 第4回選抜展(22日-30日、愛知県美術館)に「作品」を出品する。12月、浅野弥衛展(7日-12日、いとう画廊)
1965年(昭和40) 51歳
8月、浅野弥衛展(19日-26日、名古屋画廊)
1966年(昭和41) 52歳
4月、浅野弥衛展(23日-30日、名古屋画廊)がひらかれる。「コンビネーション・ピクチュア」と自ら称する箱型集合体シリーズが登場した。10月、浅野弥衛、勝本富士雄、伊藤利彦、小林研三、稲葉桂5人展(30日-11月7日、桜画廊)に出品
1967年(昭和42) 55歳
5月、浅野弥衛個展(29日-6月5日、名古屋画廊)8月、浅野弥衛展(21日-30日、壱番館画廊)この年、.名古屋タイムズ主催秀作展に出品。
1968年(昭和43) 54歳
4月、浅野弥衛個展(1日-8日、名古屋画廊)がひらかれ24点出品する。この年、THE EXHIBITION OF JAPANESE ARTISTS DRAWING(LOS ANGELES)に出品。
1969年(昭和44) 55歳
4月、浅野弥衛個展(23日-30日、名古屋画廊)この年、中部画壇60人展に出品
1970年(昭和45) 56歳
2月、伊藤利彦、小林研三、佐藤宏らと5人展(12日-24日、桜画廊)5月、浅野弥衛個展(9日-16日、名古屋画廊)
1971年(昭和46) 57歳
4月、浅野弥衛個展(8日-15日、名古屋画廊)5月、浅野弥衛展(31日-6月5日、みゆき画廊)11月、浅野弥衛・田中栄作二人展(11日-19日、桜画廊)
1972年(昭和47) 58歳
7月、浅野弥衛個展(8日-15日、名古屋画廊)11月、浅野弥衛・庄司達二人展(11日-18日、桜画廊)12月、翌年1月にかけて伊藤利彦、小林研三、清水信らとパリ、ジュネーヴ、ローマを旅行する。この年、浅野弥衛展(バルール画廊)
1973年(昭和48) 59歳
11月、浅野弥衛・中島幹夫二人展(20日-30日、桜画廊)この年、浅野弥衛展(バルール画廊)
1974年(昭和49) 60歳
11月、浅野弥衛展(11日-22日、桜画廊)この年、朝日美術展’74(名古屋)に出品。
1975年(昭和50) 61歳
10月、浅野弥衛展(1日-11日、桜画廊)この年、朝日美術展’75(名古屋)に出品。この年、浅野弥衛展(バルール画廊)
*つや消しの油彩で真っ黒に塗りつぶしたカンバスを、ひっかくように描いている。昨年までは白く塗りつぶしたカンバスをひっかき、これに黒を埋め込むやり方だったが、こんどは白黒が逆。(毎日新聞、10月8日)*一貫して目指しているのは、中心のない絵、無数に中心がある作品、額縁が完結した世界の・謳リりではなく、場合によっては天地縦横どちらからでも見られる絵である。(朝日新聞、10月4日)
1976年(昭和51) 62歳
2月、次女美子、小林研三、伊藤利彦らとパリヘ旅行。6月、浅野弥衛展(18日-24日、三重画廊)11月、浅野弥衛展(2日-27日、桜画廊)この年、朝日美術展’76(名古屋)に出品。この年、浅野弥衛展(芦屋画廊)
1977年(昭和52) 63歳
3月、浅野弥衛展(3日-12日、ガレリア・グラフィカ)4月、浅野弥衛展(18日-27日、バルール画廊)9月、浅野弥衛展(7日-11日、三重画廊)11月、浅野弥衛展(15日-26日、桜画廊)11月、放火により焼失した鈴鹿市龍光寺の本堂祭壇の襖絵を描き始める。この年、朝日美術展’77(名古屋)に出品。
1978年(昭和53) 64歳
3月、浅野弥衛展(8日-18日、大阪フォルム画廊東京店)3月、浅野弥衛個展(22日-31日、大阪フォルム画廊)10月、FIAC’78(20日-29日、パリ)に出品。11月、浅野弥衛展(1日-14日、桜画廊)12月、浅野弥衛展(8日-17日、鈴鹿画廊)この年、朝日美術展’78(名古屋)に出品。
1979年(昭和54) 65歳
2月、アートナウ’79展(3日-25日、兵庫県立近代美術館)に出品。10月、浅野弥衛展(18日-31日、桜画廊)がひらかれ、鉛筆による新作27点が出品される。10月、浅野弥衛展(鈴鹿画廊)この年、中日展に出品
*オールピーさんは浅野さんの作品を「絶対に妥協することを知らない、流行やファッションといったものには関心のない、非常にユニークなもの」と絶賛している。(朝日新聞、9月20日)
1980年(昭和55) 66歳
3月、浅野弥衛展(1日-15日、大阪フォルム画廊)この年、中日展に出品
1981年(昭和56) 67歳
2月、浅野弥衛展(23日-3月14日、桜画廊)11月、浅野弥衛展( -14日、大阪フォルム画廊)
1982年(昭和57) 68歳
6月、浅野弥衛、小林研三、伊藤利彦三人展(21日-7月3日、ボックス・ギャラリー)10月、浅野弥衛展(25日-11月10日、桜画廊)10月、三重の美術・現代展(後期、28日-11月21日、三重県立美術館)に出品。11月、現代美術の展望展(3日-12月15日、富山県立近代美術館)に出品。
1983年(昭和58) 69歳
5月、浅野弥衛展(4日-29日、伊奈ギャラリー2)9月、浅野弥衛展(2日-21日、桜画廊)絣模様登場10月、浅野弥衛展( -7日、大阪フォルム画廊・ギャラリープチフォルム)
1984年(昭和59) 70歳
10月、浅野弥衛展(第1部1日-15日、第2部18日-31日、桜画廊)
1985年(昭和60) 71歳
2月、昭和59年度名古屋市芸術賞特賞を受賞。5月、浅野弥衛展(13日-6月15日、札幌ラボラトリー)8月、浅野弥衛展(東京アキライケダギャラリー)10月、浅野弥衛展(18日-10月31日、桜画廊)この頃から題名が「作品」から「無題」にかわる。
1986年(昭和61) 72歳
3月、受賞記念浅野弥衛展(11日-16日、名古屋市博物館)10月、現代の白と黒(5日-12月14日、埼玉県立近代美術館)に出品。11月、浅野弥衛展(1日-20日、桜画廊)11月、小林研三、伊藤利彦らとローマ、フィレンツェ、ミラノなどイタリア各地をまわる。
1987年(昭和62) 73歳
2月、野田理一死去9月、浅野弥衛展(5日-19日、Japanska Galleriet,Stockholm)10月、浅野弥衛、サイ・トンブリー二人展(1日-20日、東京アキライケダギャラリー)10月1日、愛知県立芸術大学客員教授となる。12月、浅野弥衛展(5日-30日、桜画廊)
1988年(昭和63) 74歳
7月、アート・カイト展(30日-9月4日、三重県立美術館)に出品9月、浅野弥衛展(17日-10月8日、Japanska Galleriet,Stockholm)10月、現代美術の動勢-絵画PART2(29日-12月11日、富山県立近代美術館)に出品。11月、浅野弥衛展(5日-30目、桜画廊)この年、愛知県立芸術大学教員展に出品
1989年(平成1)
4月、浅野弥衛展(4日-16日、アートスペース虹)5月、浅野弥衛展(12日-21日、山画廊)5月、浅野弥衛展( -20日、大阪ギャラリープチフォルム)10月、浅野弥衛展(18日-24日、スズカ画廊)10月、白と黒-浅野弥衛の世界展(18日-22日、鈴鹿市文化会館)11月、河原温展「反復と対立」(4日-12月24日、ICA名古屋)に出品
1990年(平成2) 76蔵
3月、浅野弥衛、小林研三、伊藤利彦三人展(3日-23日、ギャラリー竹内)4月、浅野弥衛展(3日-15日、アートスペース虹)4月、現代美術の七星展(28日-5月23日、桜画廊)に出品。6日、妻桂子逝去、享年六十六9月、時の器展(9日-22日、アートギャラリー虹)に出品9月、浅野弥衛展(25日-10月13日、ベースギャラリー)9月、JAPANISCHE KUNST DER ACHTZIGER JAHRE(29日-11月18日、Frankfurt,KUNSTFEREIN)10月、線の動向展(24日-10月22日、ベイスギャラリー)に出品この年愛知県立芸術大学客員教授を辞す。
1991年(平成3)
2月、日本の抽象・1991年交流会展(12日-23日、アートミュージアムギンザ)4月、浅野弥衛展(2日-28日、アートスペース虹)8月、名古屋市芸術賞受賞作家展(27日-9月15日、名古屋市民ギャラリー)9月、浅野弥衛展(24日-10月12日、ベースギャラリー)9月、線の表現展(10日-10月20日、埼玉県立近代美術館)に出品。この年、三重県民功労賞を受賞
1992年(平成4)
3月、浅野弥衛パステル展(2日-14日、ギャラリー竹内)、浅野弥衛油彩・コラージュ展(30日-4月11日、ギャラリー竹内)9月、浅野弥衛展(12日-10月17日、桜画廊)10月、浅野弥衛展(27日-11月14日、ペイスギャラリー)11月、東海の作家たち展(3日-29日、愛知県美術館ギャラリー)に出品。11月、大阪現代アートフェアー10回記念特別展’92(28日-12月3日、大阪府立現代美術センター)に出品
1993年(平成5)
8月、浅野弥衛・久野真二人展(28日-9月25日、桜画廊)
1994年(平成6) 80歳
3月、藤田八栄子追悼展 PART1(26日-4月8日、桜画廊)に出品。7月、昭和・戦後の洋画展(28日-9月3日、釧路市生涯学習センター・アートギャラリー)に出品。10月、心で見る美術展(1日-23日、名古屋市美術館)に出品。
1995年(平成7) 81歳
2月、線の動向展2(22日-3月25日、ベイスギャラリー)に出品。5月、線について-不在のモダニズム、不可視のリアリズムー展(20日-7月2日、板橋区立美術館)に出品。12月、159回記念チャリティー展(1日-20日、INAXギャラリー2)に出品。
1996年(平成8) 82歳
1月、浅野弥衛展(4日-2月18日、三重県立美術館) 1月、浅野弥衛展(27日-3月2日、新桜画廊)
2月22日 逝去
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